江戸以前の硬貨
富本銭
富本銭が発掘された土層から、700年以前に建立された寺の瓦や、687年を示す「丁亥年」と書かれた木簡が出土している。
『日本書紀』の683年(天武天皇12年)の記事に「今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ」との記述がある。
この事により、富本銭は683年(天武天皇12年)頃に製造されたと推定される。
中央に約6mmの正方形の穴が空いている。表面に縦に富夲と書かれ、横に7つの点が亀甲形に配置された七曜星という模様があるのが特徴。
年代 : 天武天皇12年(687年)頃
素材 : 銅、アンモチン、銀、蒼鉛
量目 : 4.25~4.59g
直径 : 約24.44mm
厚さ : 約1.5mm
現存するものは博物館等で展示されている。
和同開珎 銀銭
奈良・平安時代にかけて発行された皇朝十二文銭の一番初めの鋳銭。 708年(和銅元年)5月に銀銭の生産が開始され8月に銅銭の鋳造が開始されたと推測される。ちなみに銀銭は(和銅2年)の8月に廃止されている。 古銭業界では材質や製造方法の違いにより、和同開珎は大きく古和銅開珎と新和同開珎に分けられている。 古和同開珎は銀貨と銅貨、新和同開珎は銅貨が存在する。
年代 : 和銅元年(708年)5月~和銅2年8月
素材 : 銀
直径 : 約24mm
和同開珎 銅銭
年代 : 和銅元年(708年)8月~
素材 : 銅
直径 : 約24mm
萬年通宝
皇朝十二文銭の2番めの鋳銭。 天平宝字4年(760年)に和同開珎に変わる通貨として発行。 萬年通宝1枚に対し和銅開珎10枚の交換比率が設定されたが貨幣流通が混乱し5年で鋳造は中止になった。
年代 : 天平宝字4年(760年)~天平宝字9年(769年)
素材 : 銅
直径 : 約25mm
神功開宝
皇朝十二文銭の3番めの鋳銭。
天平神護元年(765年)に萬年通宝に変わる通貨として発行。
万年通宝と等価で併用されていた。
年代 : 天平神護元年(765年)~
素材 : 銅
直径 : 約25mm
隆平永宝
皇朝十二文銭の4番めの鋳銭。
延暦15年(796年)に発行。
隆平永宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が設定された。
年代 : 延暦15年(796年)~
素材 : 銅
直径 : 約25mm
富寿神宝
皇朝十二文銭の5番めの鋳銭。
弘仁9年(818年)に発行。
この頃から銭の質が低下してきて、鉛分が多くなってきている。
年代 : 弘仁9年(818年)~
素材 : 銅
直径 : 約23mm
承和昌宝
皇朝十二文銭の6番めの鋳銭。
承和2年(835年)に発行。
承和昌宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が設定されたため、旧銭を鋳潰しての私鋳が横行した。
年代 : 承和2年(835年)~
素材 : 銅
直径 : 約21mm
長年大宝
皇朝十二文銭の7番めの鋳銭。
嘉祥元年(848年)に発行。
長年大宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が設定された。
年代 : 嘉祥元年(848年)~
素材 : 銅
直径 : 約20mm
饒益神宝
皇朝十二文銭の8番めの鋳銭。
貞観元年4月28日(859年)に発行。
饒益神宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が設定された。
この銭以降、銭文が判読できないほどの悪質なものが非常に多くなる。
鋳造期間も11年と短く、皇朝十二銭のうち、現存するものが最も少ないといわれている。
年代 : 貞観元年(859年)~
素材 : 銅
直径 : 約19mm
貞観永宝
皇朝十二文銭の9番めの鋳銭。
貞観12年(870年)に発行。
貞観永宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が設定された。
年代 : 貞観12年(870年)~
素材 : 銅
直径 : 約19mm
寛平大宝
皇朝十二文銭の10番目の鋳銭。
寛平2年(890年)に発行。
直径19mm前後の円形で、中央には正方形の孔が開いている。銭文(貨幣に記された文字)は、時計回りに回読で寛平大寳と表記されている。裏は無紋である。量目(重量)2.5g程度の銅の鋳造貨である。
寛平大宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が適用されたと思われる。
万年通宝と等価で併用されていた。
年代 : 天平神護元年(765年)~
素材 : 銅
直径 : 約19mm
延喜通宝
皇朝十二文銭の11番目の鋳銭。
延喜7年11月(907年)に発行。
延喜通宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が設定されていた。
年代 : 延喜7年11月(907年)~
素材 : 銅、鉛
直径 : 約19mm
乾元大宝
皇朝十二文銭の12番目の鋳銭。
天徳2年(958年)に発行。乾元大宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が適用された。
鉛が75%が含まれたりして品位が低く、制作の品質も悪い。応和3年(963年)に鋳造を終了している
年代 : 天徳2年(958年)~応和3年(963年)
素材 : 銅、鉛
直径 : 約19mm
金銭 開基勝宝
萬年通宝と同時期に発行され、日本で最初に作られた金貨。 流通させることを目的としてなかっと言われているため、皇朝十二文銭の一つとしてはカウントされていない。 金銭1枚=銀銭10枚=萬年通宝100枚という交換比率だった。 現存は32品。東京国立博物館に収蔵されている。
年代 : 天平宝字4年(760年)~
素材 : 金
直径 : 約25mm
銀銭 太平元宝
萬年通宝と同時期に発行された銀銭。 流通させることを目的としてなかっと言われているため、皇朝十二文銭の一つとしてはカウントされていない。 金銭1枚=銀銭10枚=萬年通宝100枚という交換比率だった。 現存していない。
銀銭 賈行
開基勝宝が発掘されたときに、一緒に発見された銀銭。 破片でしか発見されてなく破片に「賈行」の2文字が刻印されている。 本来の名称は「○賈行○」だと推測されているが、破片1点しか発見さていないので詳細が不明の銀貨になっている。 東京国立博物館に収蔵されている。
中山通宝
中山王国が発行した銭貨。
年代 : 中山王国 察度王(1321~1395年頃)
素材 : 銅、その他
量目 : 約3g
直径 : 約18mm
大世通宝
琉球王国の国王である尚泰久が発行した銅銭。貿易決済で用いられたため琉球で暮らす庶民にはあまり普及せず、九州や世界各国で多く発見れている。「大世」は尚泰久の神号である「大世主」から取られている。 一から鋳造されたものではなく、明が1411年に鋳造を始めた永楽通宝の「永楽」の文字を削って変わりに「大世」を入れて鋳造されている。
年代 : 大世主尚泰久頃(1454年頃)
素材 : 銅、その他
量目 : 約3g
直径 : 約23.5mm
世高通宝
永楽通宝を原型として独自に鋳造された銅銭です。銭銘は尚徳王の神号である世高王から取られたとされています。
年代 : 世高王尚徳頃(1441年頃)
素材 : 銅、その他
量目 : 約3.8g
直径 : 約23mm
金円世宝
尚圓王が発行した銅貨。当時、国防や経済が最優先事項だったため、独自貨幣の鋳造にはあまり積極的ではなかったので金円世宝自体はあまり流通しなかった。 今までの貨幣と違って、鋳写せずにイチから作成されているのが特徴だが、製造技術の問題で、寶の文字がかなり大きくなってしまっている。
年代 : 大世主尚圓王頃(1470年頃)
素材 : 銅、その他
量目 : 約3.8g
直径 : 約23mm
鳩目銭・封印銭
鳩の目のような外観であることにより名付けられた俗称。薩摩藩から持ち込まれた薄小、無文で形状は安定しない粗末な貨幣。 封印銭は鳩目銭をわらの差し縄にさして400枚?1000枚を一連として上端を紙で封じ、朱印を押韻したもの。鳩目銭50枚で一文の価値なので、束にして使用しないと価値がなかった。
年代 : 16世紀頃
素材 : 銅、その他
量目 : 約1g前後
直径 : 約17~20mm
天正通宝 銀銭
年代 : 天正15年頃(1587頃)
素材 : 銀、その他
量目 : 不定
文禄通宝 銀銭
年代 : 天正15年頃(1587頃)
素材 : 銀、その他
量目 : 不定
紹聖元宝 銀銭
年代 : 天正15年頃(1587頃)
素材 : 銀、その他
量目 : 不定
永楽通宝 銀銭
年代 : 天正15年頃(1587頃)、江戸時代(1600?)
素材 : 銀、その他
量目 : 不定
永楽通宝 銅銭
年代 : 天正15年頃(1587頃)
素材 : 銅、その他
量目 : 不定
永楽通宝 金銭
年代 : 天正15年頃(1587頃)
素材 : 金、その他
量目 : 不定
戦国時代の武田信玄の領地内でつくられた貨幣。江戸時代に入っても例外的に幕府公認の地方貨幣として使用されていた。
もともと初期の甲州金は「小板」「大板」「ツカ」「星」と呼称され区分されていたが形状的にまだ不揃いだったので、銭との交換レートが不定だったとのこと。そこで武田信玄が単位や品位の統一を行った結果、一両の4分の1の量目である「一分」、さらに4分の1の「一朱」、そしてさらに4分の1で「1糸目」という単位を定めた。
古甲金石目打 二分金
年代 : 不明
素材 : 不明
古甲金石目打 一分金
年代 : 不明
素材 : 不明
古甲金石目打 二朱金
年代 : 不明
素材 : 不明
古甲金石目打 一朱金
年代 : 不明
素材 : 不明
甲州一分金
年代 : 不明
素材 : 不明
甲州二朱金
年代 : 不明
素材 : 不明
甲州一朱金
年代 : 不明
素材 : 不明
甲州朱中金
年代 : 不明
素材 : 不明